「もうすぐ御飯よ、起きなさい! 何回呼ばせるつもり?」
ガバッ。母が布団を引っぺがし去っていく。
御飯……?
時計を見ると、七時六分前だった。もう朝になってしまったのだろうか? なんだか瞼が腫れぼったく、熱を持っているみたいだ。それに……頭がボンヤリする……。そういえば、寝ている間に夢を見たっけ。怖いような、可笑しいような、不思議な夢だった。しばらく会ってない母方の祖母に、黄色い土管をけしかけられた。その土管はペンキ塗りたてで、そいつに伸し掛かられた私は、全身がベトベトになったのだ。
私、寝る前って何をしてたっけ……? ベッドの上に座り込み、しばらくボーッとしていると、母が私の部屋に戻ってきた。
「朝?」
私の口からはガラガラ声が出た。そういえば喉がカラカラだ。声を出そうとするとヒリヒリと痛む。母は静かに私の顔を覗き込み、額に手を当ててきた。
「今はまだ夜よ。杏里ちゃん大丈夫? 熱とかない?」
いつもなら寝起きの悪い私に二度目の怒鳴り声が飛んでくるところだったのに、母は優しかった。何故だろう?
「熱……あるみたいだね。ちょっと待ってくれれば御粥作ってあげるよ? いる?」
私はとりあえず頷いた。人の好意には甘えろ、だ。それに、御粥は私の好きなメニューだし、確かに熱っぽい気がする。母は私の返事を聞き、台所へと、階段を下りていった。
今が夜ってことは、私、四時間近く寝てたのか……。お母さん、よく起こさなかったな。私はベッドから降り、伸びをする。ピキッと私の体が鳴り、少しくらっとした。歩こうと足を踏み出したら、ふらついて転びそうになった。
寝起きってバランス感覚狂ってるよな。それに体がダルい……。
頭がはっきりするまで待ってから、ゆっくりとドアへ移動し、手すりを持ちながら、慎重に階段を降りる。板が軋んで音をたてた。無事台所へ着くと、私は冷蔵庫から麦茶を取り出した。
「もう降りてきたの」
言いながら母がコップを差し出す。私専用の、普通サイズより小さい、赤のチェック柄のコップだ。これじゃないと、まだ手の小さな私には扱いづらい。
トクトクと、重いペットボトルを傾け麦茶を注ぎ、すぐさま飲み干す。二杯目も注ぎ、又飲み干す。そこでやっと喉の乾きが癒えた気がした。
「お茶、出したままでいいわよ。後十分もしたら御飯だから」
母が卵焼きを焼きながら言った。私の鼻を卵の焼けるおいしそうな臭いがくすぐる。お腹がグ〜ッと鳴った。
「もうすぐだから、席に座って待ってなさい。できるんなら皆の分のお茶を注いどいて」
お腹の音が聞こえてしまったのか、母は少し笑いながら言った。私は言われたとおり、三つのコップと私のコップ、計四つのコップにお茶を注いだ。ペットボトルは大分軽くなった。母がすでに並べていた料理が食卓に乗っている。今日の晩御飯はハンバーグだったようだ。皿に目玉焼きと野菜が乗せてある。
「悠く〜ん、パパ〜、御飯できたわよ〜」
ハンバーグを皿に盛り付けた後、母は階段へ通じるドアを開け、二階に向かって大声で家族を呼んだ。私をお風呂に呼ぶ時も、下に忘れ物をした時も、とにかく色々な時に母は同じように叫ぶ。実は内線電話があるのだが、母はめったに使わない。母の声は近所の人にも聞こえてるんじゃないだろうか? 私はそれを少し、恥ずかしく思ったりもする。だがもちろん母にやめて欲しいとは言ったことはない。そんなことをすれば怒られるに決まっているからだ。
私の今日の晩御飯は土鍋の御粥、卵焼き、ちりめんジャコに、瓶詰めのそぼろ鮭だ。階段を下りてくる音が二組聞こえ、私の左後方にあるドアが開く。父と弟が降りてきたのだ。
四人で食卓につけば、御飯の開始だ。いただきますはいつも言わない。皆が席につく、それが合図なのだ。母の作った御粥は、あいかわらずおいしかった。
御飯を食べた私はお風呂いはいる前に熱を測らされた。三十七度八分とバッチリ熱があったので、その日、私はお風呂に入れず、すぐに自室に行かされた。
三十分後ぐらいに、部屋に電気が付き、私は一度、うっすらと目を開けた。少し眠っていた私に母が氷枕と冷えピタ、麦茶の入ったペットボトルを持ってきてくれたのだった。頭が持ち上げられ、枕が氷枕に取り替えられる。そして母の手によって、髪をかき上げられ、おでこに冷えピタが貼られた。それを済ますと、母は部屋の電気を元に戻し去っていった。
熱い頭がヒンヤリとして気持ちいい。この三十分程の間に外では雨が降り出したようで、私は窓の向こうからのザーッという雨音を聞きながら、再び眠りについた。
翌日は正午過ぎに目が覚めた。正確に言えば母が意識せずに起こしたのだ。私の目覚ましとなったのは、母の、お昼〜〜という声だった。
その声で時刻が昼であると知った私は、のそのそとベッドから降りた。トイレに行きたいし、何かを飲み食いする必要があったからだ。
歩き疲れた人のように重い足取りで、半目のまま部屋から出ると、ちょうど、御飯に向かう為に遊具の置いてある部屋から出てきた弟と、ぶつかりそうになった。
「わぁ! お姉ちゃんやっと起きたんだ。ちゃんと歩かないと転ぶよ? 僕の上に倒れてこないでね」
五歳の弟は、そう言うと一人でスタスタと階段を下りて行った。
私も続いて降りる。トイレを済ましダイニングキッチンへ行くと、母が起きたの、何食べる? と聞いてきた。自分で起こしとして……、と私は不機嫌な表情を浮かべるが、母は意に介さなかったようだ。
まだ体がダルかったので、朝御飯兼昼御飯を軽く食べた後、私は又寝ることにした。熱を測ってみると微熱があったので、母もそれを了承する。
結局、元気になったのは夕方だ。私はまずお風呂に入った。約二日ぶりのお風呂に、体の汚れ、疲れがとれ、心が和んだ。私は体調が崩れると毎回髪がベタベタになるから、髪を洗うのが特に気持ちよかった。
お風呂から上がると、ちょうど御飯の時間になっていた。どうやら長湯をしてしまったらしい。夕食後、大好きなテレビアニメを見てから、私は自室へ行った。
あと一日で夏休み……つまり、明日は終業式だ。後は成績表を貰えば終わり。そう思うと気が楽だった。私は学校が嫌いだけど、平均以上の成績をとっている限り、両親は何も言わない。
成績に関して、私の両親はあんまり厳しくないな。寝る前に明日の用意をしながら、ふと思う。
その日は寝てばかりになった。